糞の山の上ホテル

人生に絶望したコミュ障クズが、糞の山を築き上げるブログ

成長と適応は違うんじゃないかって話

少し前に会社で査定というか、面談があった。

正直自分は今の仕事に欠片も意義を見いだしていないし、留学の準備ができるまで適当に居て、一応職歴にしようと思ってるくらいなわけで、モチベーションなんて存在しないのだ。だけれでも、上司の前では適当にやる気のある振りをして、来年の目標とかそういうくだらない話について語ってたわけですよ。
面談は2回あった。その内、一回目はボロクソに言われた。仕事についてもそうだが、「何言ってるか分かんないし、なんなんだお前」という、後一歩いけば人格否定までされそうな勢いのコメントを頂いた。ありがたや〜。まあでも、正直上司とコミュニケーションとるの嫌だと思ってるし、めんどくさいと思ってるのが伝わってるんだろうな。だからその評価は真っ当ものなんだ、きっと。

とはいえそんな事言われたら潮時なのかなとも思うわけで、「もう会社辞めようと思います」とはっきりと伝えようかと思っていたら、2回目の面談では急に態度が優しくなった。「うちの会社のパッケージとか分かってきて色々成長してるよ」という気持ち悪いコメントをもらって唖然としてしまって、会社辞めたいです、なんて言えなくなってしまった。まあ、単純に飴と鞭の作戦なのかもしれないが、はっきり言って気分が悪い。単純にコロコロと態度を変えるその軸の無さも気分が悪いが、ふと違和感を感じたのだ。100人にも満たないような小さな会社の糞ドマイナーなパッケージやなんちゃってフレームワークについて詳しくなったところでそれは成長と呼べるのだろうか?と。確かに仕事を進めていくうちに必然的に知識は溜まっていっているが、それを成長と呼ぶ事にもの凄く違和感を覚えたのだ。なぜだろうか?

会社特有の事について知識が身に付く事は成長ではなくて、単に「適応」と呼ばれるべきだ。なぜなら、その知識は会社の外を出た瞬間に価値が無くなるものだからだ。成長と言う言葉はもっと一般的な文脈で使われるべきだ。「筋肉が成長した」「経済が成長した」「植物が成長する」などなど。ちょっとした言葉の捉え方の違いかもしれないが、彼らと私の間に埋められない溝がはっきりと横たわっているのを見た瞬間だった。きっとこの人たちと理解し合う事は一生ないのだろう、と。このくだらない製品の内部設計や細かい仕様について詳しくなる事が成長と思っている人たちと。

仕事をしていれば、その職場固有の知識を身につけなければいけない事もあるだろう。仕事なんてどこもそんなものなんだろうが、僕はもうなにもかもが馬鹿馬鹿しくなってしまっているんだ。まったくもう。